作品解説
人々を魅了してやまない傑作がよみがえりました。
エドゥアール・マネ
「フォリー=ベルジェールのバー」
■原画所蔵 コートールド美術館
■高度な絵画複製技術で原画を忠実に再現
■優美な高級木製装飾り額装
“印象派の父”とよばれるエドゥアール・マネが「画家の中の画家」と敬愛し、自身の作風にも大きな影響を与えたスペインバロック絵画の巨匠、ディエゴ・ベラスケス。時代を超えて共鳴する偉大な二人の画家の代表作を、原画所蔵美術館より正式提供された画像を使用し、名だたる巨匠作品を手がける国内美術工房が真正に再現。2019年秋、日本の美術ファンを沸かせた2大傑作がご自宅でご鑑賞いただけるまたとない機会です。
近代美術の創始者マネによる最晩年の傑作が所蔵美術館より正式に提供された画像を使用して制作されました。
マネの筆跡を感じさせる流動的な線と伝統的な形式にとらわれない自由で個性的な色彩までもそのままに再現された貴重な美術作品です。
“印象派の父”エドゥアール・マネ人生最後の大作
19世紀、フランスにて写実主義から印象派への移行をうながし、モネやルノワールといったのちに印象派を創始する若い画家たちに多大な影響を与えた巨匠エドゥアール・マネ。なかでも本作「フォリー=ベルジェールのバー」は亡くなる前年の1882年に発表された“最後の傑作”としてあまりにも有名です。
当時のパリで最も人気を博したカフェ・コンセール(劇場)「フォリー=ベルジェール」を舞台に、鏡で作られた複雑で多義的な空間に、人物、群衆、静物を卓越した技術で描いたマネの画業の集大成作品です。鏡に映る、華やかで喧騒的な情景とは対照的に、物憂げな様子のバーメイド…。鏡の中では紳士と向き合いながらも、その眼差しは紳士を見つめることはありません。フランス画壇に革新的な作品を発表し続け、数え切れぬほどの批判を浴びたマネが、最晩年に病魔と闘いながら不屈の精神で辿り着いた傑作。当時のパリの空気までをも詳細に描いたマネの代表作品として世界中から絶賛されました。
最新の絵画複製技術と熟達の職人技を駆使して制作
この人々を魅了してやまない傑作中の傑作が、所蔵美術館より正式に提供された画像を用いてよみがえりました。制作には最新の絵画複製技術と熟達の職人技を織り交ぜながら、新旧の巨匠版画作品を数多く手がける、京都美術工房 K.T.M.printersが携わり、納得いくまで何度も刷り上げ校正を重ね完成された価値ある特別美術作品です。この機会にぜひご所蔵いただきまして、マネが最後に辿り着いた芸術世界を重ね存分にご堪能くださいませ。
作品詳細情報
品番 |
AR-EM01 |
作品名 |
フォリー=ベルジェールのバー |
作家名 |
エドゥアール・マネ |
技法 |
K.T.M.system |
画面 |
キャンバス |
画寸 |
38.5×52.3cm |
額寸 |
48×62.5cm |
額縁 |
木製飾り額 |
重量 |
2.7kg |
原画所蔵 |
コートールド美術館 |
制作工房 |
K.T.M.Printers |
納期 |
受付後1週間前後
(納期のご質問・ご要望等承ります。) |
エドゥアール・マネ 略歴
1832年、パリの格式高いブルジョワ家庭に生まれる。1844年、名門中学校コレージュ・ロランに入学。1850年、気鋭の画家トマ・クチュールのアトリエに入門。1961年、『オーギュスト・マネ夫妻の肖像』と『スペインの歌手』がサロンで初入選。1965年、高級娼婦の裸体を描いた『オランピア』がサロンに入選するも、世間から非難を浴びる。しかし前衛的で伝統破壊的な若い画家集団≪バティニョール派(後の印象派)≫に先駆者と見なされ、慕われるようになる。1966年、『笛を吹く少年』、『悲劇役者』をサロンへ出品するも落選。1874年、「第一回印象派展」が開催されるも、サロン落選の日々が続く。1882年、本作「フォリー=ベルジェールのバー」を制作。1883年、健康状態が悪化し4月30日死去。享年51。