作品解説
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ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
『夾竹桃(きょうちくとう)』
Vincent VAN GOGH Les Lauriers Roses
■原画所蔵/メトロポリタン美術館
■監修/千足伸行(美術史家/成城大学名誉教授・広島県立美術館館長)
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〈南仏アルル時代の代表的傑作〉
130年余の時を超え、日本へたどり着いたゴッホの夢
“色彩の画家”ゴッホの日本初公開作品
オランダに生まれ、わずか10年余りの活動で約2000点もの作品を遺し、37歳で夭折した伝説の天才画家、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。光あふれる鮮やかな色彩と激しく情熱的な画風は、世界の絵画史上に燦然と輝き、今なお私たちの心を捉えて離しません。
また2017年8月から2018年にかけて北海道、東京、京都と大規模な特別展が開催されるなど大きな話題となっています。ご案内の本作『夾竹桃』は、その特別展にて日本初公開となるファン待望の傑作です。日本に憧れ、そのイメージを重ねた南仏アルルで、ゴッホは突き抜けるような太陽の光の色に魅せられ、光あふれる色彩の世界を獲得。画家としての才能を一気に開花させました。
メトロポリタン美術館の協力を得て
現代の高度な絵画複製技術を駆使して制作
南仏アルルにユートピアを求めたゴッホは、太陽の光を受けて輝く「黄色い家」にアトリエを構えます。ここでこれから始まるであろう仲間たちとの創作活動を夢見て、この家の入口にお気に入りの花であった夾竹桃を植えたと言われています。本作のモティーフとなった夾竹桃は「黄色い家」同様にゴッホにとって、まさに“生きる喜び”を象徴する重要な意味を持つ花でした。
天才画家ゴッホが大いなる喜びの心で描き上げた傑作『夾竹桃』を、原画を所蔵するメトロポリタン美術館より正式認可された画像をもとに、力強く情熱的な筆遣い、日本の浮世絵のような大胆で明るい色調はもとより、ゴッホの胸の高鳴りまでもが伝わる芸術作品として再現いたしました。また上品で重厚感のある金箔を施したハンドメイド仕上げの額装が、作品の豊かで鮮やかな色彩を一層引き立たせ、飾る場所を明るく華やかに彩ります。これほどの出来栄えにもかかわらずお求めやすい価格もたいへん魅力的です。ぜひこの機会にご愛蔵賜りまして、日本への憧れを夾竹桃に託したゴッホの傑作を、お手許でゆっくりとご鑑賞くださいませ。
ニューヨーク、メトロポリタン美術館
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「夾竹桃」 |
日本に憧れていたゴッホにとって、アルルはフランスの中の日本とも言えたが、意外なのは「ここで驚いたのは花が少ないことだ」と手紙に書いていることである。アルル時代で圧倒的に多いのはジャンル別では風景、次が人物・肖像で、意外にも静物、それも花の静物となると《ヒマワリ》を除けば数えるほどしかないのは、手紙にもあるように、そもそも花が少なかったためであろうか。その意味でもこの《夾竹桃》はアルル時代の貴重な作品と言える。(解説より抜粋)
千足伸行(美術史家/成城大学名誉教授・広島県立美術館館長)
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作品詳細情報
品番 |
KT-VG09 |
作品名 |
夾竹桃(無料カラーパンフレット) |
作家名 |
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ |
限定制作 |
200部 |
画寸 |
53×42.7cm |
額寸 |
66×55.7cm |
技法 |
彩美版(R)、シルクスクリーン手刷り |
用紙 |
キャンバス |
額縁 |
木製金箔額(国産ハンドメイド) |
監修 |
千足伸行(美術史家/成城大学名誉教授・広島県立美術館館長) |
原画所蔵 |
メトロポリタン美術館 |
発行 |
共同印刷株式会社 |
ご注意 |
当作品は、インターネットからはご注文いただけません。
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ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ【略年譜】
1853年 牧師の父のもと、オランダで生まれる。
1869年 国際的な画商グーピル商会に就職。
1876年 グービル商会を解雇され、ロンドン近郊にて伝道師見習いとなる。
1879年 過剰なまでの活動に対し資格を停止され、聖職の道で挫折する。
1880年 ブリュッセルにて美術学校入学、画家を目指す。
1885年 父急逝。
1886年 パリに移住。弟テオと同居。ピサロなど印象派画家との交流。
1887年 カフェ「ル・タンブラン」にて自ら収集した浮世絵展を開催。
ピエール・ロティが小説「お菊さん」を刊行。
1888年 2月、南仏アルルに移住。「黄色い家」を借りる。
「ラ・ムスメ」、『夾竹桃』制作。
10月、ゴーギャンと同居するも12月、口論の末にゴーギャンがアルルを去る。
1889年 サン・レミの療養院に入る。
1890年 パリ近郊のオーヴェールに移住。7月、テオに看取られ永眠。37歳。